2015年05月04日
2015GWツーリング 3日目前半
山口市内ホテル、朝6:30起床
窓の外を見るとまだ雨が降っていた

天気予報を確認すると午前中には雨は上がるとの事
今日は萩観光に行く予定で同じホテルに連泊だったためしばし待機。
前日のブログを更新したりTVをみたりゴロゴロする
NHKで「スターウォーズ」の特集をしている
これから上映される新作などを取り上げ公共放送がいい宣伝をしてくれている。
11:00雨が上がり晴れ間が見えてきた

( ゚Д゚)<時は来たっ!!
半乾きのライダーシューズを履き萩へ向かう
山口から萩までは50km、国道262号線を走る。
萩はいまNHK大河ドラマ「花燃ゆ」の舞台で盛り上がっており
さらにGW中は「萩焼まつり」も重なり車は渋滞していた。。。
萩市内に入りすき屋で昼食

チーズカレー並盛
山口県立萩美術館へ入る

「花燃ゆ特別展」が開催されている

館内は写真撮影禁止なので文書のみで説明
特別展は吉田松陰・杉家・松下村塾を中心とした人間関係とそれにまつわる文物の展示で
さすが県立美術館。質量ともに満足できた。
吉田松陰直筆の文書も多く展示され
「費用録」
松陰が遊学していたころ節約のためつけていた帳面。
醤味噌 8文、 塩 4文、 半紙 124文、 朱 92文などが記載されていた
半紙は何枚入りかは書かれていなかったがそれにしても醤味噌の15倍の価格とは驚きだ
現在、醤油1Lも味噌1kgも約500円とすると
半紙代は7,500円となる
半紙なんて現代は100均で簡単に手に入る
物の価値の変わりようにおどろきだ。
昔、祖父がNHK大河ドラマを批判していた
寺子屋で習字の練習に半紙を使用していたからだ。
祖父の時代でも習字の練習には新聞紙を利用していたのに江戸時代の庶民が練習で半紙なんか使えるわけないと。。
ようやく理解できました。帰ったら寝たきりで入院している祖父に報告しよう。
「吉田松陰が東北遊学で脱藩」
有名な話ですが宮部鼎三と東北遊学を約束していたが藩からなかなか許可が下りず
約束を守るため脱藩してしまった話です。
ここだけ聞くと勇み足でもう少し他の方法が考えられなかったのかと思いますが
展示されていた松陰が杉家にあてた文書にもう一人の名が記されており
南部藩の江幡五郎という人も仇討で東北へ同行することになり
仇討ならば赤穂義士にあやかり12月14日に出発することに決まりましたが
藩からの許可が下りず「男子の一諾を重んじ」
脱藩となったそうです。
「木戸松子と東一(子供)の写真」
木戸松子は木戸孝允の正妻で東一は高杉晋作の息子です
明治維新後も維新の英雄の遺児を明治の元勲が大切にしていたことが垣間見えほっこりしました。
「毛利敬親正室の都美姫の具足」
女性用の豪華な具足は初めて見たかもしれません
錦包二枚胴具足
昔も女子の飾り物にはピンク色が多用されていました。
他もゆっくり見物し常設展示コーナーには現代萩焼きが展示されていましたが
焼き物には興味がないのでさっさと通り過ぎました

これも萩焼なのか?意味はわかりませんがきっと高かったことでしょう。
県立美術館を後にし松陰神社へ向かいます。
つづく。。。
窓の外を見るとまだ雨が降っていた

天気予報を確認すると午前中には雨は上がるとの事
今日は萩観光に行く予定で同じホテルに連泊だったためしばし待機。
前日のブログを更新したりTVをみたりゴロゴロする
NHKで「スターウォーズ」の特集をしている
これから上映される新作などを取り上げ公共放送がいい宣伝をしてくれている。
11:00雨が上がり晴れ間が見えてきた

( ゚Д゚)<時は来たっ!!
半乾きのライダーシューズを履き萩へ向かう
山口から萩までは50km、国道262号線を走る。
萩はいまNHK大河ドラマ「花燃ゆ」の舞台で盛り上がっており
さらにGW中は「萩焼まつり」も重なり車は渋滞していた。。。

萩市内に入りすき屋で昼食

チーズカレー並盛
山口県立萩美術館へ入る

「花燃ゆ特別展」が開催されている

館内は写真撮影禁止なので文書のみで説明
特別展は吉田松陰・杉家・松下村塾を中心とした人間関係とそれにまつわる文物の展示で
さすが県立美術館。質量ともに満足できた。
吉田松陰直筆の文書も多く展示され
「費用録」
松陰が遊学していたころ節約のためつけていた帳面。
醤味噌 8文、 塩 4文、 半紙 124文、 朱 92文などが記載されていた
半紙は何枚入りかは書かれていなかったがそれにしても醤味噌の15倍の価格とは驚きだ
現在、醤油1Lも味噌1kgも約500円とすると
半紙代は7,500円となる
半紙なんて現代は100均で簡単に手に入る
物の価値の変わりようにおどろきだ。
昔、祖父がNHK大河ドラマを批判していた
寺子屋で習字の練習に半紙を使用していたからだ。
祖父の時代でも習字の練習には新聞紙を利用していたのに江戸時代の庶民が練習で半紙なんか使えるわけないと。。
ようやく理解できました。帰ったら寝たきりで入院している祖父に報告しよう。
「吉田松陰が東北遊学で脱藩」
有名な話ですが宮部鼎三と東北遊学を約束していたが藩からなかなか許可が下りず
約束を守るため脱藩してしまった話です。
ここだけ聞くと勇み足でもう少し他の方法が考えられなかったのかと思いますが
展示されていた松陰が杉家にあてた文書にもう一人の名が記されており
南部藩の江幡五郎という人も仇討で東北へ同行することになり
仇討ならば赤穂義士にあやかり12月14日に出発することに決まりましたが
藩からの許可が下りず「男子の一諾を重んじ」
脱藩となったそうです。
「木戸松子と東一(子供)の写真」
木戸松子は木戸孝允の正妻で東一は高杉晋作の息子です
明治維新後も維新の英雄の遺児を明治の元勲が大切にしていたことが垣間見えほっこりしました。
「毛利敬親正室の都美姫の具足」
女性用の豪華な具足は初めて見たかもしれません
錦包二枚胴具足
昔も女子の飾り物にはピンク色が多用されていました。
他もゆっくり見物し常設展示コーナーには現代萩焼きが展示されていましたが
焼き物には興味がないのでさっさと通り過ぎました

これも萩焼なのか?意味はわかりませんがきっと高かったことでしょう。
県立美術館を後にし松陰神社へ向かいます。
つづく。。。
Posted by りく at 21:34│Comments(0)
│ロングツーリング
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